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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)2052号 判決 1984年10月31日

控訴人(原告) 唐澤脩外二名

被控訴人(被告) 石川島播磨重工業株式会社

主文

一  原判決中控訴人亡山中行生に関する部分を取り消す。

控訴人亡山中行生の本件訴えは同人の死亡により終了した。

二  控訴人唐澤脩、同塩谷浩の本件控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中控訴人亡山中行生に関する分は第一、二審とも同人の負担とし、控訴人唐澤脩、同塩谷浩に関する控訴費用は同控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

左記(一)又は(二)を選択的に求める。

(一) 控訴人らが被控訴人に対し、被控訴人の東京事業所第一工場(旧東京第二工場)通用門又は東門(その位置は原判決添付図面のとおり、以下同じ。)を午前八時に入門することをもつて労働時間を起算されるという労働契約上の地位を有することを確認する。

(二) 控訴人らが被控訴人に対し、被控訴人の同工場通用門又は東門を午前八時前に入門する労働契約上の義務のないことを確認する。

2  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。との判決

二  被控訴人

控訴棄却の判決

第二当事者双方の主張及び証拠関係

次のとおり付加、訂正、削除するほかは原判決事実摘示及び当審記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

一  原判決三枚目表一行目「所在する。」を「所在していたが、昭和五四年五月一日右工場は東京第一工場を統合し、同工場に勤務していた従業員の大多数が右第二工場に移籍になり、同工場は名称が東京事業所第一工場(ただし、本判決においては、同工場を「東二工場」という。)と変更になつた。」と改め、同六、七行目「同山中が修理部機関工場課、」を削除する。

二  原判決三枚目裏三行目「定められているが、」の次に「(なお、昭和四八年一二月一二日就業規則が変更されて、就業時間は休憩時間を含み一日九時間、実労働時間は一日八時間となつた。」を加える。

三  原判決五枚目表二行目「おいては」の次に「昭和四七年八月一六日までは豊洲綜合事務所地下ロツカールーム入口であり、同月一七日以降は」を加え、同四行目「八月一七日以前」を「八月一六日まで」と、原判決六枚目裏二行目かつこ内を「すなわち、昭和四七年八月一六日までは前記地下ロツカールーム入口であり、同月一七日以降は通用門又は東門」と、それぞれ改める。

四  原判決七枚目表一、二行目「被告は」から同六行目「義務づけているのであるから」までを「被控訴人は労働安全衛生規則により従業員に安全帽・安全靴・命綱・保護眼鏡・保護手袋を着装させることを義務づけられており、また被控訴人においても、就業規則三二条一項五号、四九条、五〇条、安全管理規程、安全靴規程、造船安全必携、安全ハンドブツク等により、右保護具及び被控訴人指定の作業服の着用を義務づけるとともに、ロツカーハウス、地下ロツカールームなどを建築して更衣等をなすべき場所を黙示的に指示していたのであるから、」と、同裏一一行目、原判決八枚目表一行目「八時までにタイムカードに打刻するのに比べ、」を「所定の門(すなわち地下ロツカールーム入口)真近のタイムカード場で打刻するのに比べ、所定の門からロツカーハウス内の所定のロツカーまでの歩行時間、」と、それぞれ改める。

五  原判決九枚目表一、二行目「一五分」を「一七分」と改め、同九行目の次に「新勤務制度が石播労組所属の従業員に適用される根拠はあくまでも石播労組と被控訴人との労働協約(覚書)が存するからであつて就業規則によるものではない。労働協約で労働条件が定められた以上、その労組所属従業員がこれに拘束されるのは当然であるが、右労組とは何らの関係もない控訴人らにとつては、右制度は何ら関係のないものであり、右のような事情により新勤務制度の合理性を肯定することは、少数組合である全造船分会の協約締結権を否定することであつて許されない。」を加える。

六  原判決一一枚目裏九、一〇行目「作用していなかつた。」の次に以下の部分を加える。

「すなわち、七時五六分以降打刻したとしても賃金カツトの対象になるわけではなく、また、一時金の計算においても何らの不利益を被らなかつた。五分前遅刻が問題になるのは、定期昇給における勤怠係数としてのみであつたが、当時、定期昇給は、

基準昇給金額×成績係数×勤怠係数

の計算方式を使つており、そのうち成績係数は、最高一・二〇、平均一・〇〇、最低〇・八〇の範囲で、〇・〇五ずつの差で査定が行われ、五分前遅刻はこれとは無関係であつた。また、勤怠係数は年間の不就労を欠勤日数に換算し、これによつて算出された欠勤日数を一定の勤怠係数にあてはめていたが、その換算方法は、私病欠勤一日を〇・二五日、事故欠勤一日を一日、無届欠勤一日を二日、遅刻、早退、私用外出を全部まとめて五回までは免除、五回を超える部分につき一回を〇・二〇日とするものであり、勤怠係数は、

欠勤日数  勤怠係数

〇~五日 一・〇〇

六~一〇日 〇・九七

一一~一五日 〇・九二

一六~三〇日 〇・八〇

三一~四五日 〇・七〇

四六~六〇日 〇・五〇

六一日以上  〇・四〇

であつた。以上のような制度の下では遅刻の勤怠係数への影響は、極めてわずかなものであり、また通常の勤務をしている従業員の場合は、早退や私用外出は極めてまれであり、これを無視しても差しつかえない。したがつて、例えば年三〇回の遅刻があつた場合(月平均二・五回)その他の欠勤が〇であれば、換算欠勤日数は、

(30回-5回)×0.20=5日

となり、勤怠係数一・〇〇、勤怠減額は〇である。また毎週一回遅刻していたとすれば、換算欠勤日数は

(52回-5回)×0.20=9.4日

となり、勤怠係数〇・九七で三パーセントだけ減額されることとなる。一方成績係数は前記のように五パーセント毎のランクであるから、勤怠係数は成績係数よりも影響が少ないのである。以上のように、昭和三六年の地下ロツカールーム移転以前の五分前遅刻制は一応の制度としてはあつたけれども、その影響は微々たるものであつた。」

七  原判決一二枚目表五、六行目「従前の慣行が維持されたものである。」を「従前の労使の合意はなんらの変容を来すことなく、合意に基づく慣行として存続したのである。」と改め、同裏二行目「労使ともになかつたのである」の次に「(そもそも八時にタイムカード打刻ということと八時に器材受渡場所に到着ということとは相矛盾する内容であり、特にタイムカード場の設置場所との関係で、前者は打刻後更衣となり、後者は更衣後器材受渡場所に到着ということになり、その差は歴然としている。もし被控訴人があくまでも現実に八時に器材受渡場所に到着することを要求するのであれば、組合との間で八時打刻をもつて労働時間の起算点とするとの合意をすることはなかつたはずである。したがつて、被控訴人は八時に器材受渡場所に到着していることを現実に要求する態度を見せなかつたのである。八時に器材受渡場所に到着ということは、たかだか被控訴人の希望あるいは願望として存在したにすぎない。)」を加え、同裏六行目「右体操は、」から同八、九行目「いたのにすぎず、」までを「右体操は、昭和四六年四月一五日までは任意参加のものとして、同月一六日以降は石播労連の自主的運動として行われていたのにすぎず、」と改める。

八  原判決一三枚目表三、四行目「存しなかつた。」の次に「もし八時体操をもつて労働時間の起算点とするとの規範又は被控訴人と石播労連との合意が存在していたならば、被控訴人が、何故に後に、石播労連の自主的運動という形を装いながら、就業時間充実(すなわち労働強化)を図らねばならなかつたのか、また新勤務制度実施に伴い石播労組との労働協約を締結しなければならなかつたのかが意味不明となるのである。」を加え、同九行目「強行したこと、」から同一一行目「同分会は」までを「強行したことは認めるが、右実施に先立ち、被控訴人が全造船分会と団体交渉したことは否認し、その余の事実は不知ないし争う。被控訴人は石播労連との間の合意事項に全造船分会を服従させるために同分会に対し説明会を行つたにすぎず、その席上、同分会は」と、それぞれ改め、同裏四行目末尾に「被控訴人は控訴人らにのみタイムカード制を維持することは困難であると主張しているが、控訴人らは、タイムカード制を維持すべきことを主張しているのではない。すなわち遅刻であるか否かの確認手段がタイムカードであろうと面着(自己申告による所属上長の確認)であろうと、それはまさに被控訴人の選択しうるところであるが、遅刻認定の場所(労働時間の起算点)を構内にずらせることにより、実質上始業時刻を早めた結果になる(すなわち新勤務制度がタイムカード制を採用しているとすればタイムカード場を各職場に分散したのと同じことである。)ことを不当であると主張しているのである。」を、同裏五行目末尾に「とりわけ、東二工場における遅刻が本来の遅刻と賃金取扱上の遅刻の二種類あつた旨の主張は否認する。同工場における就業規則、賃金規程等において明示された労働条件としての遅刻は画一的に定められており、それは入門直後のタイムカード打刻によつて認定されていたところである。昇給等を含めた賃金計算の問題以外に、従業員と会社の間で、労働時間の起算点に関する権利義務があるとする被控訴人の主張は理論的にも事実認定のうえからも誤りである。すなわち、労働時間の起算点の問題は、労働者が完全な賃金請求権を獲得するためには、いつ、どこで、どうすればよいかということであり、使用者が完全な賃金債務を負うのは、労働者のいつ、どこにおける、いかなる行為に対してかということである(もちろん、ここにいう賃金請求権、賃金債務というのは昇給等における査定等を含めての問題である。)。したがつて、労働時間の起算点に関して、賃金請求権に反映されない権利義務関係は存在しない。逆にいえば、賃金請求権に反映されないものは、当事者の間でこれを義務と言い、権利と言つたところで法的な意味での権利・義務とは全く無縁のものである。」を、それぞれ加え、同一一行目「意味が」から原判決一四枚目表二、三行目「一定しないのであり、」までを「意味は文言自体あいまいであり、現に新勤務制度が実施され、本件訴訟の審理が相当に進行した昭和四八年一二月ころまでは右の運用は作業指示の開始までに間に合わなければならないとされていたし、現時点においても、被控訴人は作業指示に間に合うとの意義を統一せず、日によりあるいは上長の判断により、混乱した取扱いをしており、作業指示の終了に間に合うことという統一的な取扱いをしていない。

その上、作業指示の所要時間も、その日その日によつて、また各職場、各上長の個性によつて一定しないため、どの程度の時間が猶予されるかは上長の判断及び行動によつて左右され、日毎にまた職場毎に一定しないのであり、」と改める。

九  原判決一四枚目表七行目「賃金カツトの増大とも」を「月別賃金のカツトの増大及び夏・冬一時金の減額、定期昇給における昇給分の減少と」と改める。

一〇  原判決一五枚目表九行目「九三条」を「八九条」と、同裏二行目「かくして」から同三行目末尾までを「なお、控訴人らは本件訴訟において再三被控訴人に対し、新勤務制度による労働時間起算点の変更が控訴人らに対して効力を有する根拠の釈明を求めたのに対し、右は、被控訴人が就業規則の解釈として実施しうる専権事項であるから同規則を変更する必要はないと強弁していたところ、本件訴え提起後一〇か月、右制度実施後一年四か月後にようやく就業規則の変更をしたのである。」と、それぞれ改める。

一一  原判決一六枚目表末行「含まなければならないところ、」の次に「本件更衣等及びその後の体操場所までの歩行時間は当然これに含まれると解すべきであり、」を、同裏四行目「もたらしているのである。」の次に「そして、このことは特定の日に一日八時間を超える労働時間を定めた場合の問題であるから、労働基準法三二条一項の問題であるところ、被控訴人における所定労働時間は一日八時間であり、被控訴人就業規則には労働時間が一日八時間を超える定めはない。」を、それぞれ加える。

一二  原判決一九枚目裏一〇行目「所定の門が、」の次に「昭和四七年八月一七日以降」を加え、同一一行目「昭和四七年八月一七日以前」を「昭和四七年八月一六日までの」と改め、原判決二一枚目裏九行目の末尾に「器材の受渡しとか機械の点検のような作業に直結する準備行為は社会通念上からいつても、正に業務内容の一部であるが、更衣等は業務の内容を構成するものではなく、人間感覚とか安全衛生への配慮等によつて定められた服務の条件である。したがつて、更衣等あるいは更衣後所定の体操場所への歩行が業務に含まれると解することは著しく社会通念に反する。仮に、更衣とか体操場所までの歩行時間を労働基準法三二条一項にいう労働時間に含ませるべきであるとしても、労働時間の起算点は強行法規に反しない限り法的自由の領域に属する事柄であるから、就業規則の明文に反してまで業務の内容を拡張解釈することは許されない。」を加える。

一三  原判決二四枚目表六行目の末尾に「体操が作業の安全につながるものであり、また作業に取りかかろうとする態勢作りにもなるとはいえ、作業に直結する準備行為とは異なり、社会通念上体操が当然に業務の内容になるとはいいがたいが、このような取扱いにしたからといつて就業規則を変更したと解する必要はなく、それは就業規則の運用の範囲内の取扱いの問題にすぎない。」を加える。

一四  原判決二五枚目表一〇行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「以上のように、東二工場における八時の体操は隔週週休二日制実施後の一年四か月間だけのことではなくそれよりも長い歴史をもつものであり、隔週週休二日制実施以前においても少数の常習的な例外者を除いて大多数の従業員は午前八時の体操に参加していたのである。そして、被控訴人と石播労連とが八時の体操開始をもつて始業とする旨を合意した以降においては従業員の規範意識が極めて明確なものになつたのである。

控訴人唐澤は昭和三八年九月から四六年三月まで組合業務に従事して職場を離れていたが、職場復帰後は体操に参加していたし(ただし四八年三月以降は再び職場を離れて現在に至つている。)、控訴人塩谷も隔週週休二日制の実施以前からまれに遅刻をしたときを除けばほとんど体操に参加していた(訴取下げ前の原告らであつた全造船分会員らも若干の差こそあれおおむね参加していた。)。

それにもかかわらず、控訴人らは八時体操をもつて始業とするとの慣行を否定する。その理由は、隔週週休二日制の実施以前においては体操は自主的参加であつて強制的なものではなかつたとか、隔週週休二日制実施後の体操は被控訴人と石播労連とが合意しただけで全造船分会はこれに反対していたのであるから控訴人らを拘束するものではないというのである。しかしながら、八時の体操が一部の職場で始められた初期の段階においてはなるほど自主参加であつたといえるかも知れないが、これが広く行きわたり全職場に定着して例外者を除く大多数の従業員が参加するようになれば、その実態だけからでももはや参加したい者だけが参加すればよいなどというものではなくなつたというべきである。いわんや当時の東二工場従業員約二、四〇〇名のうち控訴人ら(訴取下げ前の原告らを含めて九名)を除くその余の圧倒的多数の従業員が明確に規範意識をもつて行つてきた八時の体操参加について、控訴人らが反対していたから東二工場の慣行として成立したとは認められないなどというのは控訴人らの独断にすぎないというべきである。始業の取扱いというような制度的事項に関しては、全員がこれに同意し規範意識をもたなければ慣行の成立が認められないなどというものではないし、規範意識をもつて従つてきた者とこれに反対していた者とを分け、前者にのみ慣行の成立を認め、後者については慣行の成立を否定するなどという考えは慣行の本質をわきまえないものである。」

一五  原判決二七枚目裏一〇行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「従業員が就業規則上定められた始業時刻に遅刻した場合には、もともと遅刻時間に相当する賃金の請求権は発生しないのであるから、使用者がそれをどの程度緩和し、どの程度で賃金カツトするかは、従業員の既得の権利を侵害しない限度で自由に定めうるところである。すなわち就業規則上の遅刻と賃金計算上の遅刻認定とを別個に定めることは使用者の任意であるから、会社が賃金計算上の遅刻認定につき右のような措置をとりそれが慣行化していたからといつて、これにより当然に従業員の労働契約上なすべき義務自体に変容を来すことにはならないというべきであつて、午前八時までにタイムカードに打刻すれば賃金計算上遅刻とされなかつたという取扱いは会社の賃金計算上の遅刻認定に関する猶予措置に外ならないものである。

控訴人らは、労働時間の起算点に関して、賃金請求権に反映されない権利義務関係は存在しないとして、賃金計算上の措置と労働時間の起算点とを分けて考えることは論理的にも誤つていると主張する。しかしながら、賃金請求権が発生するためには労働義務の履行がなければならないが、そうだからといつて、その逆に賃金が支払われるすべての場合が常に一〇〇パーセント完全な労働義務の履行があつたことになるとは限らない。そのことは、例えばいわゆる完全月給制の下において、欠勤しても常にその対応賃金がカツトされるとは限らないことを想起するだけでも容易に理解しえよう。そしてそれは一日単位で見た労働義務履行の有無のみに限られず、労働時間の起算点に関しても同様である。すなわち、労働義務の完全な履行がなされたか否かの判断基準と賃金計算上の判断基準とが、使用者の制度上の配慮により、労働者の不利益にならない範囲で異なるものとされても何ら差し支えないことであり、論理的にも決して矛盾するものではない。」

一六  原判決二九枚目表七行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「始業の取扱いに関して当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いにしないとの猶予措置は制度実施後一〇年以上経過した今日においても継続されており、もはやその暫定性を喪失した。また新勤務制度においては、これまでになかつた作業中断時刻を定め、ロツカーハウス到着をもつて終業時刻になるようにしたのであるが、このことは従業員にとつて就業規則の定めるところ(就業規則三二条一項一号は終業時刻まで業務に従事することと定めており、この業務には作業の後片付けも含まれる。)よりも有利な取扱いになつているのである。新勤務制度の当否は全体として判断されるべきものであり、作業中断時刻の定めによる利益を享受しながら始業の問題をこれと切り離して論議しようとすることは身勝手というほかない。控訴人らは、作業中断時刻がロツカーハウスと作業場所との距離に応じて異なつて定められており、作業場所のいかんによつて中断時刻が異なつているにもかかわらず、これについては何らの異論も述べていないのであるから、ロツカーハウスと作業場所との距離、いいかえれば歩行時間の長短は当然生じうる差異として了解しているものというべきである。歩行時間が長くなればそれだけ実作業時間が短縮されることになるが、それは同一工場内においても個人差があるのみならず、所属替え等によつて変更することもありうるし、工場の統廃合により旧東京第一工場が東二工場に移転したときにも通勤時間の変動が生じているのである。しかし、これらは止むを得ない条件の差異ないし変更であつて、ロツカーハウスからの歩行時間に長短の差があるため遅刻の取扱いに不均衡が生ずるということをもつて新勤務制度の合理性を否定しようとすることは全く不当である。」

一七  原判決三〇枚目裏九行目の「(ニ)」を「(ハ)」と改める。

一八  原判決三二枚目表六行目「今日に至つている」の次に「(完全週休二日制の実施に伴い就業時間が延長されたが、始業時刻の八時は変らず、終業時刻が三〇分繰り下つて一七時になつた。)」を加える。

一九  原判決三二枚目裏末行の次に行を改めて次のとおり加える。

「なお、始業に関連して、新勤務制度の実施により何らかの変更が生じたとするならば、それは遅刻認定の取扱いに関する点であろう。

従来は午前八時までにタイムカードに打刻すれば賃金計算上は遅刻の扱いを受けなかつたが、新勤務制度の下では体操終了後の作業指示までに(実態としては作業指示の終了までに)到着しなければ遅刻の扱いを受けることになつた。この両者の取扱いを比較する場合に問題になるのは、従来のタイムカード打刻が新勤務制度の下においては何に相当するかということである。控訴人らは従前のタイムカード打刻は新勤務制度の下においては入門に相当すると主張しているが、従前のタイムカード場は通用門に設置されていたのではなく豊洲綜合事務所地下ロツカールーム一、二階の階段下および各フロアーの中央部に設置されていたのであるから、控訴人らの右主張は全く根拠のないものである。そして、被控訴人は、タイムカード制の下においては更衣後打刻を指示していたのであるから、従前のタイムカード打刻は新勤務制度の下では更衣後ロツカーハウスから所定の体操場所へ向けて出発することに相当するものである。そうだとすると新勤務制度の下では体操とこれに続く作業指示の終了までの時間はおおむね七、八分であるから、ロツカーハウスから体操場所までの歩行時間がこれよりもどれだけ多く要することになるかということを問題にすべきである。また、仮に被控訴人の指示にもかかわらず打刻後更衣が行われていたとするならば、従前のタイムカード打刻は各人所定のロツカールームに到着することに相当し、したがつて前記の体操及び作業指示に要する時間と更衣及びロツカーハウスから所定場所までの歩行に要する時間とを比較すべきことになる。そこで、控訴人塩谷、同唐澤について右の点について述べると次のとおりである(控訴人唐澤は組合業務専従のため昭和四八年三月から長期間休職しており、実質的には本件訴えの利益を有しないものというべきであるが、念のため同人についても検討することとする。)。

(一)  控訴人塩谷について

控訴人塩谷は昭和四七年八月当時、旧東京第二工場船殻工作部組立工場課田野職区に所属し(S)溶接工場において主に溶接作業に従事していたものであつて、ロツカーは新ロツカーハウス三階、体操場所は新ロツカーハウスより約一六〇メートルの距離にある(F)組立定盤前であつた。また現時点では新東京第一工場船殻工作部組立課監物職区に所属し(S)工場において溶接作業に従事しているが、ロツカーは変らず、体操場所は(S)工場前であるがロツカーハウスからの距離は従前の(F)組立定盤前当時とほとんど変らない。

正常人の標準的な動作を基準(歩行については毎分七〇メートル)にして所用時間を計つてみると、同人の更衣(安全保護具の着用を含む。)に要する時間は約五分四〇秒、ロツカーハウスから体操場所までの歩行時間は約二分一五秒になる。作業指示の終了はおおむね午前八時七、八分であるから、従前のタイムカード打刻がロツカーハウスからの出発に相当するとした場合はもちろんのこと、ロツカーハウス到着に相当するとしたときでも遅刻認定の時刻が早められたことにはならない。

(二)  控訴人唐澤について

控訴人唐澤は昭和四七年八月当時、旧東京第二工場艤装工作部船装工場課太田職区に所属し、地上組立場や艤装岸壁等において造船艤装の作業に従事していたものであつて、ロツカーは新ロツカーハウスの二階、体操場所はボール前広場(現図場と食堂の間)で新ロツカーハウスから約一〇五メートルの距離にある。同人の更衣に要する時間は約五分四五秒、歩行時間は約一分三〇秒と認められる。同人の職場においても作業指示の終了時刻はおおむね午前八時七、八分であるから、控訴人唐澤の場合も控訴人塩谷と同様遅刻認定時刻が早められたことにはならない。

以上のとおり、遅刻認定の取扱いについてみても控訴人らは新勤務制度によつて何らの不利益を被るものではない。

3 なお、控訴人らは、原審において、被控訴人が新勤務制度を実施するに先立つて全造船分会と数次にわたつて団体交渉をしたとの被控訴人の主張事実を認めたのにもかかわらず、当審においてこれを否認し、被控訴人が行つたのは単なる説明会にすぎないと主張するが、これは自白の撤回に当たるので、右撤回には異議がある。」

理由

一  控訴人山中の本件訴えは同人と被控訴人との間の労働契約の存在を前提として、右契約上の権利義務関係の確認を求めるものであるところ控訴人山中は昭和五五年一月一日に死亡した(このことは記録上明らかである。)ため右契約関係は終了し、かつ同人の相続人が右契約上の地位を承継することはできないので、控訴人山中の本件訴えは同人の死亡により終了した。

なお、控訴人唐澤、同塩谷の本件各訴えがいずれも適法であることは原判決判示のとおりであるから、原判決理由(本案前の判断)(原判決三五枚目表三行目から同裏二行目まで)を引用する。

なお、被控訴人は控訴人唐澤につき、現に休職中であるから訴えの利益を有しないといい、当審における同控訴人本人尋問の結果及びこれにより成立を認める甲第九三号証並びに弁論の全趣旨によれば、同控訴人が昭和四八年三月二六日から全日本造船機械労働組合本部執行委員として組合業務に専従し、現に被控訴会社を休職中であることが認められるが、後記のとおり同控訴人は勤務場所を東二工場艤装工作部船装工場課とする被控訴会社の従業員であり、現に休職中とはいえ、いずれは専従の地位を離れて前記勤務場所に復帰することは当然予想されることであるから、同控訴人は本件訴えについてその利益を有するものというべきである。

二  控訴人唐澤、同塩谷がいずれも被控訴人の従業員であり、控訴人唐澤の勤務場所が東二工場艤装工作部船装工場課であり、同塩谷の勤務場所が同工場船殻工作部組立工場課であることはいずれも当事者間に争いがない。

三  控訴人らは、新勤務制度実施(昭和四七年八月一七日)前の労働時間の起算点は八時に所定の門を入門することであつたと主張するのでこの点について判断するに、右実施前の就業規則等の定め及び東二工場における労働時間の起算点に関する取扱いの実情は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決理由二の1、2(原判決三五枚目裏七行目から同三七枚目裏末行まで)及び三の1ないし5(原判決三九枚目裏九行目から同五八枚目表一行目まで。ただし、原判決三九枚目裏九行目「1」を「3」と、同四〇枚目裏三行目の「2」を「4」と、同四二枚目裏一行目「3」を「5」と、同四八枚目表一行目「4」を「6」と、同五〇枚目裏八行目「5」を「7」とそれぞれ改める。)と同一であるからこれを引用する。

1  原判決三六枚目表二、三行目「かかる」から同裏一行目までを削除する。

2  原判決三七枚目裏四行目「所定の門が」の次に「昭和四七年八月一七日以降」を加える。

3  原判決三九枚目裏一〇、一一行目「証人安藤勝正」から同四〇枚目表一行目「供述及び」までを「乙第一号証、原審証人安藤勝正及び当審証人佐藤芳夫の証言、原審における訴え取下げ前の原告鈴木文彦、同斉喜幸、控訴人塩谷浩、同山中行生、原審及び当審における控訴人唐澤脩各本人の供述に」と改め、同三行目「作成の」の次に「就業規則、安全管理規程」を加える。

4  原判決四〇枚目裏四行目「当事者間に争いのない事実に」を「東二工場では昭和三六年八月以前から従業員の出退勤の管理は従業員入退場手続に基づきタイムカードにより行われており、地下ロツカールームへの移転前は従業員のロツカールームは各職場近くにあり、タイムカード場は同工場の通用門脇に置かれ、従業員はタイムカード打刻後各自のロツカールームに赴き更衣等をしていたこと、昭和三六年八月従業員のロツカールームを同工場と公道を隔てた豊洲綜合事務所ビル(東京都江東区豊洲三―二―一)の地下一、二階に集めたことに伴つて、タイムカード場も右ロツカールーム内に移動したこと、右移動前及び地下ロツカールーム時代とも午前八時までにタイムカード打刻をすれば遅刻扱いとはされなかつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に」と改め、同五行目「発行された」の次に「全日本造船労働組合石川島分会の」を加え、同六行目「原告唐沢本人」を「当審証人佐藤芳夫及び原審における控訴人唐澤脩本人の各供述」と、同七行目「組合」を「同組合分会の」と、同九行目「の各証言、原告唐沢本人」を「、前掲証人佐藤芳夫の各証言、原審及び当審における控訴人唐澤脩本人」と、同四二枚目表二行目「八時に所定の」を「当時の」と、同三行目「であると主張したが、」を「をもつて始業とするように申し入れたが、」と改め、同四二枚目表七行目「契約上」の次に「始業時刻の午前八時に」を加え、同九行目「考えていたわけではなく」を「考えていたわけではない。」と改め、同一〇、一一行目を削除する。

5  原判決四二枚目裏三行目「当事者間」の前に「前記の」を加え、同四行目「弁論の全趣旨」を「前掲証人佐藤芳夫の証言」と、同六行目「組合」を「前記組合分会の組合」と、同八行目「取下前」から同行末尾までを「前掲証人佐藤芳夫、原審における取下前の原告鈴木文彦、同斉喜幸、控訴人塩谷浩、同山中行生、原審及び当審における控訴人唐澤脩各本人」と、同四三枚目表四行目「公道」の次に「(幅約三〇メートル)」を、同五行目「所在」の次に「、ビルの平面は東西に長い長方形であり、東西の長さは約一一〇メートル、ビルの東側と西側に入口があり、そこからそれぞれ地下一、二階へ通ずる階段がある。」を、同「地下」の次に「一、二階」を、同六行目「同地下」の次に「二階の」を、同「ロツカールームは」の次に「右公道を横断する」を加え、同四四枚目表末行、同裏一行目「会社の主張に理論上対抗できないとして」を削除し、同五行目「合意をみた」の次に「(前記ビル地下一、二階の東側階段の近く(地下一階は二か所、同二階は一か所)と西側階段の近く(各一か所)及び地下二階の中央部に二か所合計七か所のタイムカード場が設置された。そして、バスで通勤してくる従業員は、前記公道の豊洲綜合事務所ビル付近のバス停留所で降車し、そこから同ビルの東側又は西側の入口へ向い東側又は西側の階段を下りて地下一、二階の各自のロツカールームへ到着し、更衣後、地下二階中央部付近から公道の下を横断する地下道を通つて東二工場へ入るようになつた。)」を加え、同四五枚目表五、六行目「同ロツカールーム入口で」を削除し、同末行、同裏一行目「全面的合意に達した」から同九行目までを「右合意に達したが、右入居については組合員全員が統一した考え方であつたとはいえない状況にあつたことにかんがみ、同年九月一八日付けをもつて組合ニユースを発行し、就業時間の問題については労使間で意見の一致をみていないが、作業服に着替えること、作業場へ向つて歩くことも作業準備であるから労働時間に入れるべきであるとの組合の主張を規定や労働協約で取り決めることはむずかしい状態にあるので、当面は従来会社が行つているやり方(外業関係者は作業の準備、あと仕末も労働時間とみなす、作業準備は器材受渡場所を起点とする、内業関係者は作業開始を起点とするなど)を受け入れざるを得ない旨の見解を発表した。」と改める。

6  原判決四八枚目表二行目「当事者間に争いのない事実に、」を削除し、同三、四行目「乙第六号証の一、二、」を「乙第六号証、第七号証の一、二」と、同六行目「原告唐沢、」を「原審及び当審における控訴人唐澤、」と改める。

7  原判決五〇枚目裏九行目「当事者間に争いのない事実」を「被控訴人が東二工場内に東二綜合事務所を新築し、その一階から三階までを同工場従業員の新ロツカーハウスとして使用することとし、昭和四七年八月一七日からロツカールームを同所に移したこと、これに伴つて、被控訴人は同日から従来のタイムカード制を廃止し、(一)出勤は従業員の自己申告に基づき所属上長が確認する、(二)午前八時に所定の場所において体操を開始することをもつて始業とし、これ以降を遅刻とする、ただし、当分の間体操後に行う作業指示に間に合つた者は遅刻扱いにはしない、(三)遅刻者は就業可能時刻を一〇分刻みで自己申告し所属上長の確認を得る、との内容の新勤務制度を実施したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実」と改め、同五一枚目表五行目の末尾に「(なお、被控訴人は、控訴人らが原審において、被控訴人が新勤務制度を実施するに先立つて全造船分会と数次にわたつて団体交渉をしたとの被控訴人の主張事実を認めたのにもかかわらず、当審においてこれを否認し、被控訴人が行つたのは単なる説明会にすぎないと主張するのは自白の撤回に当たるので、右撤回には異議があると述べるが、右自白は本件の主要事実に関するものではないから、控訴人らは右自白を撤回することができる。)」を加える。

8  原判決五四枚目表八行目「当事者間に争いのない事実」を「前記の当事者間に争いのない事実」と、同九行目「取下前」から同一〇行目「原告ら各本人の供述」を「原審における取下前の原告鈴木文彦、同斉喜幸、控訴人塩谷浩、同山中行生、原審及び当審における控訴人唐澤脩各本人」と改め、同五五枚目表七行目「同」から同一一行目「ということになる。)、」までを削除し、同五六枚目裏三行目「同月」を「同月一六日」と、同九行目「当事者間に争いのない事実、」を「被控訴人が昭和四八年一二月一二日付けをもつて、亀戸労働基準監督署長に対し就業規則付帯規程の一部変更届を提出し、東二工場の始終業取扱要領、入退場取扱要領、勤務表記入要領を定めた旨を届出て就業規則の変更手続を了したことは当事者間に争いがなく、右争いがない事実、」とそれぞれ改める。

四  ところで、控訴人らは、新勤務制度以前における就業規則等の定め及び慣行によつて被控訴人と控訴人らを含む従業員との労働契約上の労働時間の起算点は八時までに所定の門を入門することであつたと主張するが、前記就業規則二六条、二七条、二八条、三一条及び従業員入退場手続二条、三条の諸規定は、いずれも被控訴人の従業員に対する出退勤の管理として、従業員の入退場の手続、方法を定めたものであつて、直接従業員の労働条件を定めたものと解することはできず、右各規定によつて、従業員が労働契約上の義務として始業時刻である八時にどこで何をなすべきかを明らかにすることはできない。

そこで、新勤務制度実施以前における始業について、控訴人ら主張のような慣行が存在していたか否かについて検討するに、前記認定したところによると、東二工場においては、地下ロツカールーム移転以前からタイムカード制が実施され、八時までにタイムカードに打刻すれば賃金計算上遅刻扱いにされなかつたが地下ロツカールーム移転(昭和三六年八月)以前には前記認定のような五分前遅刻制という制度があり、七時五六分以降八時までにタイムカードに打刻した場合には、賃金計算上は遅刻扱いにされなかつたが、労働契約上の始業義務を完全に履行したものとは認められていなかつたこと、地下ロツカールーム移転以前及び右移転時における労使交渉において、被控訴人は従業員は八時に器材受渡場所に到着していることが就業規則上義務づけられていると主張し、これに対し組合側も会社側の主張を全面的に肯認したわけではないが、八時にタイムカードに打刻すれば従業員としての義務を完全に果したわけではなく、八時から始業できるように準備時間を置いて打刻すべきであることを認めていたこと、その後昭和四二年ころから各職場で八時から体操が行われるようになり、被控訴人の主張する器材等受渡場所への到着は体操参加に代置されるようになつたが大多数の従業員はおおむね七時五〇分ころまでにはロツカールームに入り八時の体操に参加していたこと、昭和四六年隔週週休二日制実施に当たり、従業員の大多数を組合員とする石播労連と被控訴人との事実上の合意に基づいて、労連の自主的運動と職制による現場指導という形で八時の体操に参加することの指導が行われ、全造船分会組合員を除き大多数の従業員によつてこれが励行されるようになり、新勤務制度実施の直前の段階に至つたことが認められ、右のような事実に照らすと、新勤務制度の実施前において、控訴人らの主張するような八時に入門することあるいはタイムカードに打刻することをもつて、労働契約上の労働時間の起算点とするとの慣行が成立していたと認めることはできない。

したがつて、右慣行の存在を根拠として被控訴人と控訴人らを含む従業員との労働契約における労働時間の起算点は八時までに所定の門を入門することであるとする控訴人らの主張は採用することができない。

五  次に、控訴人らは、控訴人らの行う更衣等は業務開始準備行為(業務)であるから労働時間の中で行うべきものであると主張し、被控訴人は更衣等は人間感覚、安全衛生への配慮等に基づく服務の条件であつて業務に含まれないと主張するので、この点について判断するに、作業服の着用が常に業務性を有するとは限らないが、職務の性質いかんによつては、業務上の災害防止の見地から作業服の着用が義務づけられる場合があり(労働安全衛生規則一一〇条)、また使用者において、作業能率の向上、生産性の向上、職場秩序の維持など経営管理上の見地から従業員に一定の作業服の着用を義務づけることがないわけではなく、そのような場合には、作業服の着用は業務開始の準備行為として業務に含まれると解するのが相当である。また、業務上の災害防止のため作業服以外の保護具の着用が義務づけられている場合には(労働安全衛生規則一〇五条、三四三条、三六六条、五一九条など)、これらの保護具の着用は業務遂行のために必要な準備行為として業務に含まれると解される。

そこで、東二工場における更衣等に関する取扱いについてみるに、成立に争いのない甲第五四ないし第五六号証、乙第一号証によると、被控訴人は従業員の安全を確保し、作業遂行の円滑化と生産の向上に資することを目的として、各職種、作業内容、作業場所に応じてそれぞれ、作業の服装、着用すべき保護具の種類、制式などを定め、安全担当課長、職長、班長などをして保護具の適正使用の指導、徹底を図らせていることが認められ、これに反する証拠はない。

そして、原審における控訴人唐澤脩、同塩谷浩各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、控訴人唐澤の東二工場における作業内容は船舶の昇降梯子、手すりなど艤装品のガス熔接、切断、取付けなどであり、その作業を行うには、作業服、安全帽、安全靴、命綱、作業用手袋などの着用を要すること、控訴人塩谷の作業内容は組立工場内で船底部分、上甲板部分などの熔接を行うことであり、その作業を行うためには作業服、安全帽、安全靴の着用を要することが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上によれば、控訴人らの更衣等(前記作業服、保護具の着用)は、控訴人らの業務に含まれると解するのが相当である(もつとも、右更衣等が控訴人らの業務に当たるとしても、労使の合意により、労働基準法三二条一項に抵触しない限度でこれを労働契約上の労働時間に含ませないことにすることは自由であるが、一日の実労働時間が八時間とされている場合(本件においては、昭和四八年四月一六日完全週休二日制実施以後は実労働時間が八時間になつた。)には右更衣等を始業時刻前の労働時間外に行うべきものとするならば、控訴人らの労働時間は所定の八時間の労働時間を超えることとなり労働基準法三二条一項に抵触することになる。)。

しかしながら、控訴人らの更衣等が右のように業務に当たるとしても、控訴人らの労働契約上の労働時間の起算点を入門の時点でとらえるべきことにはならない。けだし、入門の時点から更衣等を開始する時点までにはそれ相応の時間の経過が存するのであるから、始業時刻(八時)に業務(更衣等)を開始するためには、それに間に合うように八時以前に入門をしていなければならないからである。

六  控訴人らは、地下ロツカールーム移転前の始業時刻の確認は入門直後のタイムカード打刻(タイムカード場は東二工場通用門に隣接して設置されていた。)によつて行われていたこと及び地下ロツカールームの移転に伴いタイムカード場が豊洲綜合ビル地下ロツカールームへ移転されたが、右移転後も地下ロツカールームを使用しない一部従業員のタイムカード場は依然として東二工場通用門に隣接して設置されていたのであるから、右地下ロツカールームは東二工場内とみなすべきであり、地下ロツカールームへの移転後は右ロツカールームへの入場を東二工場への入場とみなしてタイムカードによる始業時刻の確認がなされていたとみるべきであるとして、タイムカード制廃止後における労働契約上の労働時間の起算点は八時に入門することであると主張するが、労働契約上の労働時間の起算点は業務の開始時点をもつてとらえるべきであり、単なる入門あるいはタイムカードの打刻は業務に当たらないのであるから、これをもつて労働契約上の労働時間の起算点とすることはできない。もつとも、労使の合意により、厳密には業務に当たらない入門あるいはタイムカードの打刻をもつて労働契約上の労働時間の起算点とすることは自由であるが、前記認定したところによれば、東二工場において行われていたタイムカード制は八時にタイムカードに打刻すれば賃金計算上遅刻扱いにはしないということであつて、タイムカード打刻をもつて労働契約上要求される業務の開始があつたとする趣旨のものでないことは明らかであり、控訴人と被控訴人との間に右入門あるいはタイムカード打刻をもつて労働時間の起算点とする旨の合意があつたと認めることはできない(なお、従業員が就業規則上定められた始業時刻に遅刻した場合には、もともと遅刻時間に相当する賃金の請求権は発生しないが、使用者が遅刻時間の認定をどの程度緩和し、どの限度で賃金カツトするかは、従業員の既得の権利を侵害しない限度で自由に定めうるところである。すなわち使用者は経営管理上の見地から就業規則上の遅刻とは別に賃金計算上の遅刻を右の限度で任意に定めることができるのであり、被控訴人は右のような見地から前記のような賃金計算上の遅刻認定制度を採用していたのであるから、これにより控訴人らの労働契約上の義務が変容することはあり得ない。)。

七  以上により、控訴人亡山中の本件訴えは同人の死亡により終了したものであるから原判決中同人に関する部分を取り消して訴訟の終了を宣言することとし、控訴人唐澤、同塩谷の請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であり、右両名の本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 森綱郎 高橋正 小林克已)

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